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ウェブ人間論

ウェブ人間論 (新潮新書)

ウェブ人間論 (新潮新書)

前作?は言わずもがなのアレです。
梅田さんのあとがきから抜粋すると、

本書は、「ウェブ・人間論」と「ウェブ人間・論」との間を往来していると言える。

とある。
読書カテゴリでは珍しく小見出しを使ってみる。自分用まとめ。

「ウェブ人間・論」

まず、ウェブ人間とは、

(略)オープンソースプログラマーのようなウェブ新世界を創造する最先端の人々、ウェブ進化とシンクロするように新しい生き方を模索する若い世代

であると。
最先端の人々に関しては前作の方である程度語っている部分でもあるので省略。「新しい生き方を模索する若い世代」というと難しいので、ばっさりと「ウェブ上で表現をする世代」とくくってみる。こうすると後の「ウェブ・人間論」と関わってくるので。
で、なぜウェブ上で表現するのか。そのモチベーションは「自己充足」「承認感動」であり、カネを介さずこれを志向できるという点がユニークであると。これはオープンソースへの参加でもブログの投稿でも2chへの書き込みでも同様である。
ウェブ上には、生まれたとき放り込まれたコミュニティとは違う、自分が居たいぴったり合った場所を見つけることが出来るだろう空間が広がっている。そこでの承認感動と所属意識がもたらす充足感を簡単に得ることが出来る。もちろんその場所は1つに限らず、多面的な自己の中からそれぞれフィットした場所を選択できる。

「ウェブ・人間論」

ウェブが広く人間にどう影響を及ぼしていくのか、人間はウェブ進化によってどう変容していくのだろうか

という問いを考えるのが「ウェブ・人間論」。

先のような世界の中で人間はどんな表現をするか。身体性*1を段階的に切断、開放しつつ表現を行い自己を言語化する。それによって新たな知見を得ると同時に固定化が起きる。アイデンティティの固定化は所属場所において共振を発生させ、「島宇宙化」を促す。
このように急速に変化した世界で個人はどうやってサバイブしていくか、適応していくかというのが梅田さんの危機意識だろう。その方法として「オープンにすることによるコントロール」や「個々人の深い所属意識の肯定」があり、このあたりが楽観的に振舞う理由だと思う。
逆に平野さんは、個人の所属の固定化と社会全体に対しての不活性化を危惧する。

いまのおもい

自分用まとめを締めて、いまの考えを書いていく。

総表現社会とは、「自分語りの時代」であるなあと。『わたしはこんなものが好きだ』をみんなが表現する時代はなかった気がする。良いも悪いも無くそういう流れだというだけなのだが、言語化することの利点と弊害を踏まえておくべきだなとおもう。このあたりは、低年齢層のウェブ参加を危惧する点と共通するかも。言語化によるアイデンティティの確立と固定化?無理にまとめるのは良くない。
『おれってこういうやつだ』は自分の思い込みを助長するので『逆もまた然り』を踏まえておこう、と。

*1:きちんと理解していないが